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NerdTV #1: Andy Hertzfeld Bob: アンディ、会えて嬉しいよ。NerdTVにようこそ。 Andy: ありがとう、こちらこそ。 Bob: NerdTVってのはどんな番組だと思う? Andy: そうだなあ。Charlie Rose(米国で有名なインタビュー番組)のナード版、というのは君から聞かされたな。最新の技術動向にフォーカスするインタビューショー。歴史ネタも少し入るかも、って感じか。 Bob: テーブルは予算がなくて用意できなかったんだけど、他は同じだよ。 Bob: あなたはMacintoshのシステムソフトウェアを手がけた人物として、良く知られているけど、ご存じない視聴者の皆さんに、ご自分の出身と仕事について簡単に説明してもらえるかな? Andy: 僕はUCバークレーの院生だったときにApple IIを買って、そのとたんにそっちが大学の勉強よりもずっとおもしろくなった。それ以来Apple IIのホビイストというか、道楽者として、自分の時間をAppleIIに全部つぎ込むようになって、79年の8月に大学院を中退してAppleで働き始めた。Apple II向けにいくつか製品を手がけたけど、代表作と言えるのは最初の小型でローコストな熱転写プリンター、Silent Typeだろうね。僕は1981年の2月にMacチームに入って、Macの最初のシステムソフトウェアをたくさん書いた。ユーザーインタフェースツールボックス、ウィンドウマネージャ、メニューマネージャ、コントロールマネージャとか。で、Macが発表された直後の1984年の4月にAppleを離れた。1986年には、Macのデジタルハードウェアを担当していた、友人のBurrel SmithがRadiusという、Macの周辺機器を作る会社を立ち上げるのを手伝った。僕自身はサードパーティの開発者としていろんなものを作って、逆にシステムソフトウェアをAppleに売ったりしていた。1990年、Macプロジェクトでは僕の師匠みたいな人だったBill Atkinsonと一緒にGeneral Magicという、初のハンドヘルドコンピュータを作った会社を始めた。世間ではPDAと呼ばれているけど、自分としてはあまりいい名前じゃないなとずっと思ってる。 Bob: それはJohn Scullyが名付けたんだよね。 Andy: そうそう。その辺はいくらでも詳しく語れるんだけど、Appleとはけんか別れしちゃったからね。General Magicを創業したとき、Appleは後援者だったんだけど、1年くらい後になって自分たちがGeneral Magicになろうと考えた。んで僕たちの存在をフェードアウトさせようとした。まあ数年後には実際にそうなっちゃったんだけど…僕は1996年にGeneral Magicを離れてインターネットのホビイストになった。自宅にT-1回線を引いたんだ。一時はベイエリアにある4つの食料配布施設(フードバンク)全部のサイトをこの家でホストしていたりした。 Mozillaのアナウンスがあった1998年の2月ごろからは、フリーソフトウェアの流れに一気に染まってしまった。そのころ僕はソフトウェア産業の構造的問題に絶望していたんだけど、そこでEric Raymondの伽藍とバザールを読んで、フリーソフトウェアはオープンで公正なソフトウェア産業への道になるかも知れないと突然気が付いたんだ。 で、その時が少しでも早く来るようにと思って自分の身を捧げることにした。それでフリーソフトウェアをもっと使いやすくするために、Eazelという会社を99年の8月に立ち上げた。Eazelは2年目の資金を調達できなくて、2001年の5月には休業するはめになった。 そのあとはMitch Kaporと -- 彼はすばらしい人物で、Lotus 1-2-3を設計した奴なんだが -- 彼と仕事を始めてOpen Source Applications Foundationの立ち上げを手伝った。僕たちはChandlerという革新的なPIMを開発していたんだけど、一年半ほど前に、僕はそこから離れて、Macintosh開発の思い出話を語る、自分の回顧録プロジェクトを始めた。 僕はいくつかユニークなソフトウェアを開発して、それをFolkloreプロジェクトというwebで公開している。個人的に「集合的歴史的物語」と呼んでいる活動のためにfolklore.orgというwebサイトを開いたんだ。何人かの人たちに、自分たちの共通の物語を協力して語ってもらうという試みだ。僕は2004年のMac20周年の記念日に間に合うように、webに60ほどのエピソードを公開した。それが本になったんだ。 Bob: なに、本の宣伝があるのか! Andy: ついこの間1冊受け取ったんだ。まだ出回ってはいない。イタリアで印刷されているんだけどね。年末までには書店に並ぶはずだよ。 Bob: 「シリコンバレーの革命:信じられないくらいすばらしいMac誕生秘話」 Andy: そうそう。タイトルを考えたのは自分じゃないけど、本はすばらしい仕上がりになったと思うよ。 Bob: で、本を売っているところならどこでも買える? Andy: だといいんだけど。 Bob: とりあえずその予定、ということだね。 Andy: Amazonなら今すぐ予約できるよ。 Bob: あなたのキャリアは途方もなく多彩だったね。あなたが取り上げたい話をカバーしていこうと思うんだけど、昔話とか最近の話とか、哲学的な話とかも聞きたいね。 Andy: そりゃもう。 Bob: Apple II のどんなところに魅力を感じた? Andy: とにかく自分だけのコンピュータを所有する、ということに尽きるね。あのころ自分は計算機科学の院生で、自分が使っているシステムの隅々まで調べ尽くしたかったんだけど、それは許されていなかった。ルート権限を持っていなかったからね。いくつかの低レベルI/Oが理解できなかったんだ。だから自分だけのコンピュータを持ちたいという気持ちがものすごくあった。実際、初めてApple IIを手に入れたときに最初にやったことは、ひたすら電源を入れたり切ったり、入れたり切ったりすることだった。ひとえに、自分にその権限があったからね。それまで一度もコンピュータに対してそんな権限を持ったことはなかったし。 Apple IIがすばらしいということは買ったときからわかっていた。でも詳しく調べていくと、設計者がとった創造的で芸術的なアプローチにぶっ飛んでしまった。これを書いたのはなんというかイカれた天才だ、とね。当時はそうとは知らなかったんだけど、とにかく見ただけでわかったんだ。あの設計スタイルには大変な影響を受けて、僕は火によってくる蛾みたいにAppleに吸い寄せられてしまった。Apple IIを買った18ヶ月後に、僕はAppleで働き始めていた。 Bob: Steve WozniakがApple IIの中心的デザイナーだったよね。彼の製品を見て、彼のどんな特徴が出ていると思った? Andy: 最初に思ったのは、彼はいたずら者だってことだね。いくつかの意味で、Apple IIは彼の最大の悪ふざけだった。Wozの、とんでもないユーモアのセンスとか、理想主義とか、みんなApple IIのコードから見て取れた。彼独自の問題解決のためのアプローチだね。Apple IIの設計は普通の製品とは違っていた。とんでもない仕掛けが至る所で使われていた。 最初に気がついたのは、高解像度スクリーンの仕組みだったと思う。280x192の4色 -- 計算すると12Kのフレームバッファが必要なんだけど、実際にはフレームバッファには8Kしかなかった。「どうなってんだこりゃ?」と思ったね。 Bob: どうなってたの? Andy: 彼は基本的な装置の同期をカラーマイクロバーストで記録するという、非常にうまい仕掛けを使ったんだ。だから事実上、NTSC信号をマイクロプログラムできることになる。実際には1ピクセルにつき1ビットしかないんだけど、ピクセルを点灯させた場所に同期していたから、色も制御できたというわけ。 Bob: すごいな! それで、実際にWozに会ったときはどんな感じだった? Andy: いい話なんだよそれが。彼にはコンピュータクラブで会ったんだ。僕はApple Coreという1978年の4月1日に始まったクラブの創立メンバーで -- エイプリルフールのネタだね。John Draperに会ったときに聞いた話で、彼がまた伝説的な人なんだけど…… Bob: Captain Crunchだな。 Andy: 彼はWozと友人で、Wozがサンフランシスコで行われるApple Coreの7月の会合に来ると聞いたんだ。んで、僕はドアのそばに立って、Wozが来たら目の輝きでわかる、と思って、入ってくる人を一人一人じろじろチェックしてた。実際には彼の写真も見たことがなかったんだけどね。それでも彼は一発で見分けがついた。 Bob: 眼光で? Andy: 彼の笑い方と振る舞いでだね。そのあと午後になって、僕はDraperとWozとでバークレーにあるLarry Blake'sにランチを食べに行ったんだけど、正直ちょっとビビった。だって二人して通信衛星を乗っ取る方法を話し合っていたんだんだよ。1978年当時の事情からして、このランチに同席しているだけで逮捕されるんじゃないかと思っていた。 Bob: まあ二人ともBlue Box時代の人間だしね。それにDraperはCapn' Crunchの笛で何度か御用になったんじゃなかったっけ? Andy: まあ、何度かね。Apple IIがペンシルバニア州ストラウズバーグであった裁判で「犯罪の道具」として法廷に提出されたこともあった。(笑い) Bob: UCバークレー校にいたとき、Bill Joyもいた? 彼とは知り合いだった? Andy: ああ、知ってたよ。彼は僕の授業の一つでTAをやっていた。他の誰よりも長いこと端末室に居座っていたね。まだ彼が自分の家に端末を引く前の話だ。彼はほとんど1日24時間そこにいて、ひたすらUNIXを少しずつ書き直していた。 Bob: 自分も彼とは知り合いだけど、当時はまだ会ってなかったな。TAとして彼は教えることに専念してた? それとも単なる金稼ぎの一つ、みたいな感じだった? 彼はその辺気にしてた? Andy: 技術的なことは気にかけていたよ。彼個人がどうだったかはわからない。彼は僕の試験をいくつか採点してくれた。いいTAだったと思っているよ。 Bob: 人生のある時点で人に出会って、また時間がたってから再会して「君があの人だったのか!」となるのはおもしろいもんだね。 Andy: AppleでMacintoshを発表してからすぐ、彼から電話があったんだ。バークレーのころから覚えていてくれたんだね。彼がSunを創業したということを僕は聞いてなかった。彼は開発中のレーザープリンターのことを聞きつけて、Steve Jobsとミーティングを持ちたがっていた。僕はSteveに「ちょっと、絶対この人に会うべきですよ。僕が会った中でも最高のプログラマーの一人です。雇ってみてはどうですか」と言ったんだ。でもすでに彼がSunを始めていたとは知らなかった。 Bob: ご存じない方のために説明すると、当時Macintoshというプロジェクトがあって、Jef Raskinがそのリーダーだった。Steveが引き継ぐ前の話だね? Andy: そうそう。 Bob: じゃあ今のMacintoshとは別のコンピューターだったと。 Andy: まあ、JefはMacintoshのビジョンをまとめたという意味で、大きな功績を上げたことは認めるべきだと思う。そのビジョンというのは極限まで追求した単純さ、使いやすさ、それと非常に高いボリュームの組み合わせだった。これはJefの最初の企画開始からずっと変わらずに残ったと思う。Jefの他の貢献はたとえば、驚くべきチームを作り上げたことだ。JefはBill AtkinsonをAppleに引っ張ってきたし、Bud Tribble、Burl Smith、Joanna Hoffman、そしてBrian Howardを雇った。彼がコアチームを結成したんだ。Steveが引き継いだときには、プロトタイプとチームはすでにお膳立てされていたというわけ。 Bob: JefはのちにCanon Catをやったね。あれは彼のオリジナル版Macに近いと思ってもいい? Andy: そうだね。あれは彼がMacで作りたかったものにとても近いと思う。基本的にテキストベースのインタフェースだ。Jefはユーザーがキーボードから手を離すのがいやだったんだね。 Bob: あれに「ジャンプ」キーがついていたのは覚えてるけど。 Andy: 彼は「リープ」キーと呼んでいた。 Bob: リープキー、そうだった。で、彼は矢印キーをつけるのに非常に強く抵抗したから、1キャラクタ分だけ動かしたいときもリープしないといけなかった。 Andy: 彼にはいろいろとその手の偏ったこだわりがあったね。彼のソフトウェアは一枚のディスクに一つのファイルしか入れられないようになっていた。これも、全てのものと引き換えに単純さを優先した例と言えるだろうね。 Bob: これは情報家電だったというわけだね。 あなたがMacintoshチームに来たときはApple IIチームからの異動だったけど、その辺の事情は? Andy: 僕の本の中にある、"Black Wednesday"というエピソードで説明しているんだけど、これはApple史上有名な日で -- 1981年2月26日だ -- 当時AppleのCEOだったMike Scottが……みんなSteve JobsがAppleのCEOだったと思っているけど、彼は1997年にAppleに出戻ってくるまではCEOになったことはない。Mike Scottは……彼のことは大好きだが、時々へそを曲げることがあってね。ある日僕が仕事に出てみると、彼がApple IIチームの半分を解雇していたことを知った。彼らがちゃんと仕事をこなさず、独善的になっていると感じて、僕らに活を入れてプロジェクトを始めた頃の状態に戻そうとしたんだ。Apple IIチームに4人いたマネージャも、3人がクビになった。これでフリーみたいな状態になったんだけど、僕はもう相当幻滅していた。Rick Rickievという、当時のAppleで最高のプログラマーの一人だと思っていた友達も首を切られていたんだ。正直、僕自身もすぐAppleをやめようかと思った。 自分の決定のせいで僕がAppleをやめようとしていると聞いて、Scottyはオフィスに僕を呼び出して、どうすればやめずに残ってくれるかと尋ねてきた。僕はMacプロジェクトで働けたら残るかもね、と答えた。MacプロジェクトはちょうどJef RaskinからSteveが引き継いだところだった。実際、僕がようやっとMacに関わり始めたとき、Steveは僕をJefの机に配置した。まだ彼の荷物はそのままだったんだ。引き出しの中を見たら、模型の飛行機やらカメラやら、いろんなものが出てきたよ。 Bob: それ、彼は返してもらえたのかい? Andy: だと思うけど。 Bob: Macintoshみたいなプロジェクトをやるとき、若くて体力があることは役に立つ? Andy: 絶対役に立つね。目の前にあるたくさんの障害を乗り越えるのに、理想を貫く姿勢は本当に助けになる。長時間働く上で独身であることは有利だ。時間を自分のためだけに使えるからね。家庭を持つと、自分の時間はもう自分だけのものじゃなくなる。Macチームのほとんどは20台半ばで独身だった。だから自分の人生をほぼまるごとこれにかけることができたんだ。 Bob: Jefがチームを集めて、ビジョンの大半も作った、というところまで来たけど、Steveはどんなことをした? Andy: 山ほどあるよ。一番大きかったのは、仕事に必要な場所を確保してくれたことだね。Appleみたいな中規模の企業でも、いや今時の基準だと小企業だけど、社内政治は一丁前に大企業なみだった。1000人くらいいたからね。その政治ってのは、Macが価格の面でApple IIの足を、機能の面でLisaの足を引っ張るんじゃないかという懸念だった。だから、この小さなチームが独自に仕事ができるように場所を確保するって言うのは創業者のお墨付きがなければできなかったことだと思う。 ただSteveの貢献としては他に、ゴールを設定するといった純粋なリーダーシップというのもあったけど、最高のものを作ることへの熱意が特に大きかったと思う。彼は完璧主義者なんだ。これで十分だろう、ではだめなんだ。それと彼はクリエイティブな精神の持ち主だった。彼は本当に、とにかくなにかすごいことをしたいと思っている。それに他人があまり乗り気でないと、彼はなにかすごいことをやりたくなるようにし向けるんだ。他人をのせるのがとてつもなくうまい。相手が誰であっても、どんなことでもしたくなるよう説得できる。Macみたいな企画をやるのはものすごく大変なことだし、それにはSteveみたいな人材が必要だった。 Bob: じゃあSteveが割り込まなくても、Macはできあがったと思う? Andy: 絶対無理。脚注のネタの一つで終わっただろうね。主要なメンバーが別のことをやるためにやめたおかげでつぶれちゃった、ちょろい研究プロジェクトの類だっただろう。Appleも消えてなくなってただろうね。 Bob: Macは少人数のチームで開発された。理想的なチームの大きさというのはある? Andy: それはプロジェクトの性質によるけど、(アインシュタインの言葉を借りれば)どんなプロジェクトでも最適な大きさは最小限であること、しかし小さすぎないこと、だね。 Bob: じゃあ理想的な人数は一人ってこと? Andy: 一人でできるのであれば、それが理想だね。特にソフトウェアのプロジェクトなら。コミュニケーションのオーバーヘッドがないからね。でも一般的に言って、Macのようなプロジェクトでは、かなり大きなチームでの開発になる。開発の段階によって異なるんだけどね。マニュアルを書いたりテストをしたりしないといけない段階では、チームは大きくなる。Macには正式なテスティングはなかったけどね。当時僕たちはMacの最終版ソフトはテストに6人時しかかけていない、と言っていた。つまり12人がかりで30分だ、いや本当に。最終リリースが出てきたのが5:30で、出荷したのが朝の6時だったいうわけ。 Bob: その12人ってデニーズで見つけたの? Andy: いやいや、ソフトウェアチームの連中たちだよ。あとうちに出入りしていた連中が何人か。そのときは僕たちはみんなそのテストもやっていて、ほとんど全員が48時間寝ていなかった。 Bob: ところで、ここで登場するBurrell Smithは面白い人物だね。彼がSteveか、あるいはJefのでっちあげた人物だという人もいる。サービス部門から出てきた、というあたりからしてね。 Andy: そうだね。 Bob: それでいてすぐれたデザイナーで、まあ、なんというか変人であったと。だけどこんなことが起きるはずのない組織もたくさんある。 Andy: 彼は面白いやつだよ。 Bob: Burrelがトランクに入ってランチを食べに行った話とか。 Andy: それは本に入れ損ねた話だ。入れるつもりだったんだけど、面白い文章を思いつけなくてね。本当のところは、車の座席に人が入り切らなかったから、Burrellがトランクに入ると言ってくれたんだ。モールス符号で通信したりした。一度冗談で、会社に戻ってから10分か15分くらい車の中に放置したりした。あれはちょっとまずかったな。 Bob: 子宮の中にいるような感覚に惹かれたんじゃないかね。 Andy: たぶん彼の大勢のファンを喜ばせたかっただけだと思う。 Bob: 大勢のファンか、なるほどね。 Bob: Macintoshの成功は期待より大きかった? それとも小さかった? 他の人たちはどのくらい期待していた? Andy: 期待は大きかったよ。自分たちのしていることが世界にとってどれだけ大事か というのを僕たちにたたき込むのもSteveの仕事だった。これを世の中に送り出したら -- もちろん僕らがそうできる保証はなかったけど -- もし送り出したら、Appleは世界を変えられる企業になる、それは理解していた。実際、僕らはかなり近いところまで行ったと思う。で、もらえると思っていた金銭的な見返りは、いろんな理由があって期待するほどはもらえなかった。ご存じの通り、マイクロソフトがやってきてAppleの手から金のリングをかっさらっていったから、ということだろうね。僕らは経済的よりも芸術的に報われたね。僕たちの芸術的価値観からすると、自分たちが想像もできないほど成功したと思う。 Bob: Appleをやめた理由は? Andy: これも本にも書いたんだけど、マネージャがだめだった。僕に敬礼を要求してきたんだ。僕は彼が期待するようなしゃきっとした敬礼をしなかった。 Bob: 敬礼? ほんとに? Andy: それはもののたとえだけど。僕の本の中では"身の程知らず"と呼んでる。彼に散歩に誘われて、口頭で面談したんだ。自分がMacintoshのシステムソフトウェアのほとんどを書いていた時期について、彼は低い評価をつけた。僕が彼に対して反抗的だったからだ。これでゲンナリしてね。それが1983年の冬のことだった。Macの仕事の真っ最中でなければ、とっととやめていただろうね。Macは最後まで見届けたかったんだ。でもMacが出荷されたらすぐにやめた。1984年の1月だ。 システムソフトウェアそのものはまだやることができた。Switcherをやったね。ただの 外部開発者として作った、Macintosh初のマルチタスク環境だ。これはAppleに売ることができた。僕は戻るつもりはなかった。Macグループの精神は大好きだったけど、こいつが -- Bob Bellevilleというんだけど -- 僕がやめる原因になったダメマネージャが割り込んできたから。そこに残るほど妥協する気にはなれなかった。 Bob: Steveが盾になってくれなかった? Andy: Steveも約束はしてくれたけどね。前のマネージャのBud Tribbleがやめたとき、Burrellも僕ももう少しでやめそうになった。ダメなマネージャが来るんじゃないかとおそれていたんだけど、Steveは僕らの面倒を見ると約束してくれた。でもそのころすでにMacは開発完了していた。技術的な仕事は終わっていて、Steveがそのとき必要としていたのはAppleの残りの部分を受け持ってくれるマネージャだった。 Macintoshが出荷されて、彼の次の目標はAppleの残りのすべてをMacグループに変えることだった。彼は他のAppleの部分がMacチームほどクリエイティブでも積極的でもないと感じていたんだ。で、会社を引き継ぐために必要なのはマネージャだ。イノベーターや技術者じゃない。 Bob: じゃあその時点では、彼はあなたよりもBob Bellevilleの方が必要だったと? Andy: 僕はそう思っていた。しばらくたってから、彼には僕の方が必要だったんじゃないかと思ったけど、しかしあのころはねえ。それで、当たり前だけど全部彼に返ってきた。彼(Steve)はそのすぐ後にAppleからけり出された。Appleの不幸な運命だね。これら一連の出来事のせいでAppleはあやうく死ぬところだった。 Bob: Bill Gatesに初めて会ったのはいつ? Andy: 彼には1981年の7月にあった。Billと初めて会ったとき、Macのカーソルルーチンがどうやって動いているか当てようとした話を僕の本に書いてある。彼の推測は間違ってて、僕がそれがソフトウェアベースであることを説明しようとしたんだ。(彼はなにかハードウェアがあると思っていた)それはApple IIでとっくに実装していた。んでそれを彼に伝えようとしたとき、Steve Jobsがその現場を見て大声で話を止めようとしたんだ。「しゃべるな!!!」ってね。 Bob: そのあとで何かあなたから買い取ろうとしたんだよね? Andy: Switcherだね。そのことも本に書いてる。 Bob: 買いたたこうとした。 Andy: 僕がどれくらい速くプログラムを書けるか自慢させようとしたね。そうすれば時間あたり何ドルで計算して、安い値段を付けることができる。 Bob: はめようとしたわけだ。 Andy: その話をしていたときはまだプログラムを書いていなかったから、完成までどのくらい時間がかかるかわからなかったんだ。払いを少なくするためにプログラマに自分がどれだけ仕事が速いか言わせる、というのは、プログラマのエゴ -- 自尊心を利用するためのよくあるテクニックなんだろうね。 Bob: うまいやり方とは思えないけどね。 Andy: いや、うまくいかなかったんだけどさ。(笑い)面白かったのは、そのプログラムを僕はAppleに売ることになって、Steve Jobsと価格交渉をしないといけなかった。二人のスタイルは実に対照的でね。Bill Gatesはとても分析的で、コードは合計で何行あるか、完成までにどれだけ時間がかかるか、時間あたりいくら支払うべきか、全部計算しようとした。ところがSteve Jobsのアプローチだと、とにかく何の根拠もなく、ただ数字を引っ張り出してきた。これが正しい数字だと言い張って、反論も受け付けないんだ。神懸かり的な直感だったね。 Bob: じゃあその数字が十分大きければ、あなたは満足だったわけだ。 Andy: いやすごく満足ってわけではなかったけど、まあ十分満足したよ。SwitcherはMacに同梱すべきだと思ってたし、それができるのは彼だけだとわかっていた。だから彼にはサービスするつもりだった。もしBill GatesがSwitcherを手に入れていたら、そのうちトラブルになっていただろうね。 Bob: プログラマのエゴの話がでたけれども、ちなみにプログラマ固有の性格のタイプというのはある? Andy: プログラマの性格というのはさまざまだとは思うけども、確かに、プログラマは基本的には論理的、分析的だ。そうでなくてはいけない。コンピュータは手加減をしないからね。でも世の中いろんな分野がある。ユーザインタフェースの方で仕事をする人は、共感能力をもっていないといけない。でもデバイスドライバを書く人は、そこまで人間について理解していなくてもいい。書いているプログラムの種類に応じて、プログラマの性格にはある程度の違いが見られる、といったところだろうね。 Bob: あなたはいつも世の中にはヒッピーがいて、ナードがいて、両方の性質を持っていないといけない、と言っていたよね。 Andy: さもなきゃヒッピーのナードになる手もある。僕はナードだったけど、どっちかというと文学ナードというか芸術ナードだった。 Bob: そうみたいだね Bob: でも同時に、チームが密になって仕事をしていると、性格の不一致は問題になることもある。 Andy: もちろん。特にみんなが理想主義的で、自分が自分の正しいと思うことをやろうとしているときはね。意見が合わないときだってある。自分の言いたいことをうまく表現できない性格の人もいる。そういう人は声の大きい人にブルドーザーみたいに押し流されてしまう。でもMacチームではみんな情熱的で、時には相手に自分の意見を突きつけるようなこともした。Steve Jobsは部下に正面から向き合って、なぜ自分のやっていることが正しいことだと思っているのか説明させようとした。もしそいつが恥ずかしがりだったら、そんな環境では大した仕事はできないだろうね。チームの相性っていうのはある意味自己選択的なところがある。で、いいマネージャは、自分が管理しているいろんな性格のメンバーから最大限のものを引き出す方法を知っている。いいマネージャに当たったことのない自分が言うのも変だけど。 (笑い) Bob: 一度もいいマネージャに当たったことはないの? Andy: 一人か二人はいたよ。たとえばBud Tribble。 Bob: ちょうど彼のことが頭に浮かんでいたよ。 Andy: 彼は今Appleに戻ってる。 Bob: なんかこのvalleyには登場人物が25人くらいしかいないような気がしてくるよ。本当にそれだけしかいなくて、あなたが何度もその人たちとばったり出会う、みたいな。しかもそのうち5人がBud Tribbleという。Budの足跡とあなたのを並べてみると面白いだろうね。Bill TribbleはApple IIの仕事をするためにAppleに雇われたわけだし。 Andy: Apple IIじゃないよ。Budは1980年の9月に、Jefに最初のMacプログラマとして雇われたんだ。彼はワシントン大学の医学部の博士課程にいた。研究で猫の脳みそをすりつぶしてたよ。 Bob: そりゃあMacの開発と言ったら誰だってやるだろうさ。みんながやりたがることだよ。でも彼にはそのチャンスがあったと。で、彼は休みを取ってMacをやりにきたと? Andy: そう。1年休学してね。Macを完成させるには1年くらいしかかからないから。だから1年半後にやめて、博士号をとった。戻らなくてもよかったんだけどね、Macに残る手もあったんだけど、そうなると博士課程に費やした4年間が無駄になる。だからBudは戻って、MDとPhDを取って、もう医学には進まないと決めたんだ。84年の秋に彼はAppleに戻ってきて、昔の仕事を取り戻した。 Bob: Steve JobsはAppleを離れてからNeXTというコンピュータ会社を作ったね。 Andy: Budは5人の共同創業者の一人だった。 Bob: そう。でもその後Budはかなりドロドロした事情でNextを離れたんだよね。彼はSunに行ってしまったから。Steveはものすごく -- 僕はよく事情がわからないんだけど -- Steveが彼を首にした、それともBudはSteveの信用を裏切るような辞め方をした? Andy: まあ、NeXTはちょっと苦しい時期にあったからね。BudはNeXTがもっと前に取るべきだった方針を主張したんだ。彼はNeXTがハードウェア事業から手を引くべきだと思っていた。 Bob: ソフトウェアの担当者が、自社のハードウェア事業を切れと言うわけ? Andy: そう。驚くようなことでもないけどね。でも会社はそうしなかった。Budが辞めたのはそのこともあったけど。会社とはずいぶんやりあったみたいだから、彼が辞めたのか辞めさせられたのかは正直わからない。それと当時会社の方が株式の再編成をして、彼の権利がかなり持って行かれてしまったんだ。資本変更があって、そのときに彼はSunに移った。その2ヶ月くらい後、NeXTは彼が提案したとおりハードウェア事業を切った。 Bob: そりゃたまげた話だね。じゃあNeXTが彼の株を希薄化したら、彼が辞めてしまったと。 Andy: みんなの株を希薄化したのさ。 Bob: あなたはTriumph of the Nerdsに出ていたね。すばらしい仕事だったと思う。もちろんSteve Jobsも番組に出ていたけど。その辺の話はなにかある? Andy: あるある。1996年にあれが放送されたすぐ後にSteveが僕の家に来たんだ。僕が彼に番組の感想を聞いたら、とてもいい番組だったけど、TVで見たときに自分のBill Gatesはダサいというコメントはちょっと言い過ぎだったかも知れないと思った、と言っていた。んでBill Gatesに謝るために電話をしたんだと。 どうやってBill Gatesに電話したのかは知らないけど、Steve Jobsなら一発でつないでもらえる。彼が言うには「Bill、あなたにお詫びがしたくて電話したんだ。例のドキュメンタリーを見たけど、私はあなたがダサいと言ってしまった。ああいうことをおおっぴらに言ってはいけなかったね。事実だけど、おおっぴらに言ってはいけなかった」 で、Bill Gatesが答えた。「わざわざお詫びをくれてうれしいよ、Steve。あれは本当に言っちゃいけないことだ」 Steveは思わずこう言ってしまった。「いや自分でもわかってるだろう。あなたがダサいのは事実だ」 で、Bill Gatesはこう答えた。「Steve、確かに私はダサいかも知れないが、だからといって僕の会社すべてがダサいということにはならない」 Billは自分がダサいということは認めたけど、マイクロソフトがダサいという主張は不当な中傷だと思った、というわけだね。 (笑い) Bob: 彼はダサくない人を雇うのか。 Andy: そのとおり。 (さらに笑い) Bob: こりゃ面白いな、本当に…さて、オープンソースソフトウェアに魅力を感じるのはどんなところ? Andy: 健全なソフトウェア産業の可能性だね。もうみんなわかってるはずだけど90年代のある時点でソフトウェア産業は構造的問題が原因である意味死にかけた。マイクロソフトの独占のおかげでイノベーションが起きなくなっていた。マイクロソフトは土台となるプラットフォームを持っていたから、実質的にユーザーと開発者の両方と争っていた。彼らはイノベーションなんて求めていなかった。彼らは現状を維持したかったんだ。フットボールの試合で、片方のチームがグラウンドとフットボールとヘルメットを所有しているようなものでね。僕はこの問題に気づいてはいたけど、何の解決策も思いつかなかった。ユーザーと開発者が基礎となる共通のシステムソフトウェアを持つのはいいことだ。でもそれがプロプライエタリな支配の元にあるなら、それはいいことではない。 だからMozillaの発表があったのと、Eric Raymondの「伽藍とバザール」を読んだとき、僕は啓示を得たと思った。それは外から受け取ったもので自分のアイディアではないけどね。でも共通のシステムソフトウェアをユーザーと開発者のコミュニティがフリーソフトウェアライセンスのもとで所有すれば、イノベーションが発展するような健全なソフトウェア産業ができるだろう、と気づいたんだ。それに気づいてから、その実現を助けるのがものすごく重要だと思うようになった。僕は歴史の流れが、きっとそれを実現させることだろうと思っていた。問題は実現までにどれだけ時間がかかるか、それだけだった。僕はそれがもっと早く実現するように貢献ができると思った。僕が何をするにせよ、それとは全く関係なしにこの動きは進んでいるし、やがてはそこにたどり着くと思う。フリーソフトウェアはソフトウェア産業にとって非常にいいものであってきたし、これからもそうであり続けると思う。 Bob: フリーソフトウェアのどこにビジネスモデルがあるのか、と疑う向きもあるようだけど? Andy: いろんなビジネスモデルがありうるけど、ソフトウェアはサービスに変わり始めている。ソフトウェアはしばらく経つと陳腐化してしまう。Eazelがやろうとしていたのは、システム管理サービスを作ることだった。Eazelはコンピュータを使いやすくすることに専念していた。特にフリーソフトウェアね。GUI的なユーザビリティはユーザビリティの一側面だけど、システム管理というのは、うまくいかないと全員が失望する、そんな分野なんだ。 あなたがコンピュータのユーザーであるとしたら、コンピュータの専門家であるあなたはおそらく、システムが落ちてしまったらそのユーザーである十何人かの人をサポートしないといけない。で、そのシステムダウンは毎年起こるわけだ。じゃあどうやって直せばいい? ネットワークで直せるじゃないか? その専門技術はネットワークの向こう側にあるかもしれない。僕が思うに、アップデートやノウハウを得るためであれば、人々は月5ドルとか10ドルとか、それなりの金を払う気になると思う。僕が言っているのは人がしゃべるようなのではなくて、自動化され専門知識だ。これが可能性のあるビジネスモデルの一つ。一種のシステム管理サービスだ。あなたのISPと一緒に販売されているかも知れないね。 でも他のビジネスモデルもある。僕の本を出版してくれたオライリーは、非常に成功している途方もない規模のフリーソフトウェアビジネスモデルを持っている。フリーソフトについての本を出版するわけだ。それができる会社は多くないけど、伝統的なコンサルタントというのは存在する。IBMはその中でも最大級で、成長しているとともにもっとも強欲な企業の一つでもあったけど、今ではフリーソフトウェアの側にがっちりと立っている。彼らはそれが自分たちのコンサルティング事業にとって非常に好都合だと考えている。最近は収入のかなり大きな割合がそこから来ている。 Bob: それにフリーソフトウェアが動くハードを売るのにも都合がいいと。 Andy: 全くだね。顧客にとってもいいことだ。僕らはこれまで封建時代の中に生きてきたのだと思う。プラットフォームの持ち主が領主で、ユーザーと開発者が農奴。だけど今は過渡期だと思う。フリーソフトウェアを通じて、平等な時代と公平な市場に移行している。ソフトウェアが何もかもフリーになるべきだとは言わないけど、インフラストラクチャ級のソフトはそうあるべきだろうね。より多くの人がそれに頼っているなら、その分だけフリーにする理由がある。長期的に確立された技術標準としてコモディティ化されているような物についても同様だね。 マイクロソフトの独占の基礎を見ると、本当に長い間変わっていない、ものすごく古いものなんだよね。そういうものはあまり大きな商業的な影響力を持つべきじゃない。 Bob: でもそういうものが影響力を維持しているし、これからもそうありつづける。 Andy: そうそう。ただ世界はそこから離れつつあるけどね。もうダムにひびが入ってるのがバレバレ。 Bob: そのひびというのは何を指して言ってる? ひびがあるのは同意だけど、具体的に説明したい。 Andy: 低価格パソコンが明らかな例だと思う。ムーアの法則のおかげで、今や新品パソコンのハードウェアのコストは100ドルを下回るご時世だ。パソコンを200ドルで売るのもさして難しくないなかで、Windowsのライセンスが50ドルというのはもう話にならない。ハードウェアのコストが下がるほど、彼らのモデルは回らなくなるんだ。特に第三世界ではそれが顕著になっている。無料の代替手段があれば、それは合理的ではなくなる。 いろんな新しいデバイスでも同じ事が起きている。ネットワークのおかげでさまざまなコンピュータ処理がデスクトップから離れて、何千もの異なるフォームファクターに移っていくことを可能にした。たとえばTivoだね。わざわざWindowsをベースにしてTivoを作ったりはしないでしょ。 Bob: Eclipse 500というビジネスジェット機を知ってる? Andy: いや。 Bob: Eclipse 500は今度発売される新型のビジネスジェットなんだけど。 Andy: Vern Raburnのジェット機かい? Mike Boichが、彼はEazelのパートナーでMac時代からの友人でもあるけど、一台買おうとしていたね。 Bob: アレは百万ドルで買えるジェット機だ。イカすアイディアなんだけど。 Andy: 出荷が遅れてるんでしょ? Bob: いや、そこは全然問題ない。エンジンのメーカーがこけたとかで新しいメーカーを見付けてきたんで、少し値段が上がったけど、基本的には空飛ぶコンピュータだ。 Andy: うん。 Bob: あれの上ではWindows NTが動いている…そこがちょっと怖くてね。 Andy: まったくだ。NTはもう先がない。今頃はXPなんじゃないか。 Bob: たぶんね。最初はNT4だったんだけど、組み込みWindowsOSが与圧機構を制御してるってのは落ち着かない。 Andy: Vernは早くから話に噛んでいたから、ソースコードの写しをもらえていたのかもね。 Bob: Bill GatesはEclipseに相当金を出していると思うよ。 Andy: だからWindows NTで動いているんじゃないか? Bob: そりゃそうだ。そうにちがいない。そういう取引なんだ。 Andy: そういう動機付けでもなきゃこんなことはしないよ。理屈に合わないからね。 (携帯電話が鳴る) Bob: 僕の電話だ。でも出ないでおく。切っておけば良かったな。 Bob: さて。あなたはEazelを起こした。外から見るとEazelは新しいLinux用グラフィカルインタフェースとして発表されたように見えたけど。 Andy: Gnomeの上にかぶせただけだよ。僕たちのゴールはLinuxを使いやすくすることで、GUI方面の製品が仕事の一つ、もう一つがシステム管理だった。他の選択肢についても評価、というか他にいろいろ見てみたんたけど、最終的にGnomeを選んだ。Nautilusという新しいファイルマネージャを作った。僕自身はファイルマネージャだとは全然思っていなかったけど。というのも、あれはもっと広い範囲をカバーするもの -- 僕としてはグラフィカルシェルと呼ぶべきもの、だと思っていたからね。で、自分たちがやろうとしていたことを半分くらい作り込んだ。ただ最後まで作りきることができなかったのはすごく残念だね。 Bob: それを手放さないといけなかったというのは、どんな気分? Andy: 実にがっかりした。自分の人生の一部をものすごい勢いでそこに注ぎ込んでいたし。それに加えてそれこそうちのようなものすごいチームを組んでいたからね。それがみんな風に吹き飛ばされて散ってしまうのを見るのはとてもがっくりくる。 Bob: あなたが開発したコードはどうなった? Andy: まだ使われてる。Gnomeをマシンにインストールしたら、Nautilusも一緒に入るね。あれは元の道からそれてしまって……本来持っていた可能性を生かし切れなかった。あれには良いところがまだ残っているけど、あれを引き継いだ人たちにはあまり先を見据えたビジョンがなかった。あれの末路は「どうしようもなくなったら、とにかくWindowsのまねをしろ」だった。そういう方向に流れてしまった。 Bob: 逆にWindowsがそれこそたくさんのものをまねてきたことを考えると、皮肉な話だね。 Bob: 今の時代、独立したソフトウェア開発者にいい生活はできると思う? Andy: もちろん。それにはいろんなやり方があると思うよ。どれだけ独立していたいかによるけど、あなたが腕のいいプログラマで、実績もちゃんと残しているなら、コンサルティングで年間15万ドル以上得られるだろう。Appleとかマイクロソフトとか、一つの企業だけに勤めて同じくらいの収入を得ているプログラマはたくさん知っている。もっと起業家精神に富んだ人なら、自分の会社を興すのもいいと思う。プログラマ一筋でそこまでうまくやっている人はあまり知らないけど、いることはいる。たとえばGnomeプロジェクトで一緒に仕事をしたRaph Levine。彼はすばらしかった。彼はバークレー在住で、あるフリーソフトウェアプロジェクトをメンテしていて、それでそれなりの生計を立ててる。なぜかというと商業バージョンを売っているから。彼はGhostScriptをやっていて、非GPLバージョンを販売して、プリンターの会社にライセンスしている。それでまともな生活ができている。 Bob: 考える価値はあるね。「僕はRaph、競争相手はAdobeです」みたいな。 Andy: 正確にはRaphとその仲間、だけどね。世界中に何百人ものボランティアのプログラマが散らばっている。 Bob: それでJohn Warnockは眠れない夜を過ごしたりするのかな? ありえそうだけど。 Andy: 最近John Warnockは商売の争いからは離れたようだね。Bruce Chizenか、誰がCEOか知らないけど、Adobeは僕が見る限りではうまくやっているよ。 Bob: いや本当にうまくやっているよ。どうも連中はそこに道を見つけたらしい。マイクロソフトがこれだけ優勢な環境で成功するのは非常に難しいからね。本当に技術的な優位性を持っている会社には、まだ成功するチャンスがある、ということだと思うよ。AdobeとMicrosoftは、技術ベースで見ればもはや比べ物にならない。Adobeは技術的にはもういつでもMicrosoftの上に立つことが出来る。でもみんなそのことを忘れてしまうんだ。みんなより大きい会社、より多くのお金、そればかり考えているから。実際にはよりよい会社になる余地はいつもそこにあるのにね。 Andy: そうだね。Adobeは彼らの専門分野のど真ん中にいる途方もない会社だ。彼らに追いつくのはほとんど無理と言っていい。彼らはとことんまで綺麗な印刷にこだわるからね。 Bob: そしてAutodeskがある。もちろんMicrosoftも製品は作っているけど、それでAutodeskが危うくなる訳じゃない。AutodeskはCAD分野では800ポンドのゴリラだからね。 Andy: CADのことはあまりよくわからない。Intuitも吸収されまいと抵抗している例だと思う。 Bob: しかもそれなりに成功している。まとめると、やればできるけど、そのためにはものすごく仕事ができて、ものすごく足が速くないといけない、ということだね。 Andy: それと当たり前だけど、独占によって失われる機会というものを僕らは理解していない。 -- 今このとき、もっと公平な競争の場があったなら、世の中はどんな風になっていたか。今よりも5倍の数のすばらしい会社が繁盛していたかもしれない。 Bob: あなたが自分の専門以外で大きく関心を寄せているものの一つに音楽がある。音楽への関心が技術への関心と交わったのはどういった事情で? Andy: 電子音楽の革命を通じてだね。1998年の早い時期に、MP3なるものに頭を突っ込んだ。あのmp3.comのサイトがあって、実はそこで知ったんだけど、それで僕の音楽を全部オンラインで公開したんだ。自分用にカスタムサーバを作ってね。9ギガのドライブ6本で、54ギガバイトでスタートした。今ではもうテラバイトを超えている。7000曲くらい入っていて、これはもう途方もないね。自分が音楽を聴くときは全部これを使うし、旅行に行くときも十分な帯域があれば使うことができる。それに友達に一部を分けることだってできる。 Bob: この音楽革命の行く末はどうなると思う? Andy: 現状の延長線だろうね。革命が起きるべきだと僕が思っているけど、まだ起きていないところがある。社会の価値観と、それにどうつきあっていくかというところだ。音楽は聴かれることを欲している。僕がアーティストなら、そこに曲を出したら、一人でも多くの人に聴いてほしいと思う。だからダウンロードでしか曲を聴かない人がいても、それはまずい話ではないんだ。すべてがフリーになるべきだとは言わないけど、「最大多数の最大幸福」はこの世で何が正しいかを決めるための基準としてまだ有効だと思う。それに自分の顧客を訴えるというのはどう考えてもお粗末なビジネス戦略だ。だから今のビジネスモデルには進化の余地がたくさんあると思っている。今のレコード会社はみんなおしまいかもしれないね。全くもって自業自得だけど。 帯域は減っていないんだよ。実は。これはとんでもない教訓だ。僕が6年前に初めてサーバを組んだとき、結構負荷がきつかった。ぎりぎりでリアルタイム圧縮ができていた、ってくらいだ。でも今ではCDを突っ込んだら全部リップして圧縮が終わるまで5分もかからない。ほとんどの人にとってハードディスクの片隅でしかない。だから次に来るのは情報量が桁違いに多い映画だ。で、僕はそれも始めた。自分用の映画サーバを立てて、もう500本以上格納してある。 Bob: 本当に? Andy: 違法なんだけどね。僕が知る限り最悪の法律、DMCAは自分が買ったDVDを自分のパソコンにコピーしてはいけないと定めているから。 Bob: あなたは犯罪者だったね。忘れてたよ。 Andy: 犯した罪は一つだけじゃないのさ。 Bob: 新しい法務長官もこれ見てると思うんだけど。 Andy: ジュネーブ協定についての覚書を書いた人だよね? Bob: そうそう。んであなたはジュネーブ協定の保護を受けないという決定を出すんだ。 Andy: それは怖いな。 Bob: 今から10年後のあなたは何をしていると思う? Andy: うわあ。もう60過ぎだよ - 今51歳だからね。 Bob: 僕もだ。僕らカッコイイと思わないか? Andy: 1953年生まれか。うん、二人ともいい格好だと思うよ。どうだろ、わからないけど、向こう10年で小説でも書いているかもね。それとは別に、面白いソフトウェアプロジェクトをやりたいと考えてる。どっちも同じくらい面白そうだ。自分が30になったとき -- これはインタビューのたびに言ってるんだけど -- 自分が40になってもまだプログラムを書けるだろうか? と考えたものだった。ある意味ではプログラマとしてのキレはなくしてしまったかもしれない。でも得たものもたくさんある。だから今まで通り、自分は有能なプログラマだと思っている。ただその有能さの中身は違うし、その理由も違う。そして自分が60になったら、なおさら有能になっているだろう。もっと性能のいいコンピュータを使えるし -- いいツールとか -- でも短期記憶の方は今でも怪しくなっているから、そっちの方は60になるころにはほとんど消えてなくなってるだろうね。なんともいえないな。 Bob: それがわかる? Andy: そりゃそうさ。僕は -- 少なくとも全盛期には -- すごく仕事の速いプログラマーだった。 僕は仕事を手っ取り早くこなした。どうやってやるかというと、何もかも頭の中にたたき込んで、資料を一切見ないで済むようにするんだ。でもそれがするすると抜け落ちて行っている。もう今からそうなるのが目に見えてる。最近はGoogleという過去に類のないすばらしいプログラミングツールが僕の役に立ってくれる。ほとんどどんな状況にあっても、問題を解決するのにこの集合的知識を利用できるというのは本当に驚きだ。何か解けない問題があったら、それがうまく当てはまる技術を探しているでも何でもいいんだけど、とにかく多数の知恵にアクセスすればいい。すごいよ! Bob: あなたはとてもうまくやってきたし、非常に幅広いキャリアを積んできた。働いていたいくつかの会社は成功しなかったけど、成功した会社もあった。 Andy: 僕は会社を三つ共同で設立した。うち二つは公開して、どちらもお金になった。General Magicは総合的に見ると失敗だったと言わざるを得ない。その志を達成するところまで行かなかった。だけど共同設立者として準備をするのに十分なお金を得ることはできた。 Bob: みんなお金のためにこんなことをするのかな? Andy: そりゃするよ。人によるけどね。最もできる人たちはお金のためにはやらない。 Bob: そう、僕もそれを言いたかった。 Andy: お金は理由として十分じゃないんだ。正しい動機付けの本質へとつながる存在にはならない。お金のために集まってくる人は、お金を得ることはできるかも知れないけど、本当に世の中を変えたりすることはない。それにはもっと別のものが必要なんだ。何よりもコンピューティングに対する情熱が一番大事。自分のやっていることに対する真の愛情だ。これはどんな活動でも当てはまることだと思うよ。 Bob: お金のためにやる人は時にお金を得ることもあるけど、たいていはさっさと退場してしまう。というのも「おっ、10ドル手に入ったぞ、この金を持ってさっさと足を洗うとしよう」というような感じになってしまうから。でもそういう人は夢を最後までやり遂げない。それが気になるんだ。 Andy: そうだね。それは彼らの夢がお金の夢だからだ。最終的には自分と顧客との戦いになる。自分が稼げば稼ぐほど、お客さんにはお金が行かなくなる。この業界のいいところは、なにもないところ、ただのビットから価値を作れるというところだ。昔僕は自分のソフトがダイエットコークでできているとよく言っていた。プログラムを書いている間によく飲んでいたから。でもそれを本当の価値に変えることができる。そしてフリーソフトウェアは完全に純粋だからもっといい。フリーであればソフトウェアにはもっと価値が出てくる。自由なら他人がその上に別のものを作ることができるからね。 Bob: 僕たちが慣れ親しんでいるコンピュータのプラットフォームが物理的になくなることはあると思う? プロセッサが安くなれば、もっといろんなものにそれを埋め込むだろうし。僕らの机の下にでかい箱がある時代から、家そのものが命を得る、という時代は来るだろうか? Andy: 新しいものがやがてユーザーのいくらかを持って行くだろうけど、今あるものは確実に残るよ。机の上には書類を書くための何かがあるだろうし。そのためのデスクトップコンピュータは残るだろう。書類を立ったまま書いたり、車の中で書いたりすることはないわけだし。でもまあ、いつかは壁全体がディスプレイになったりするだろうね。僕らはコンピュータがホームエンタテインメントに本当に貢献する最初の時代を目撃している。テレビとしての、そして音楽を聴くためのコンピュータ。その話はもうしたね。コミュニケーション -- General Magicが草創期にやっていたことの一つがこれだった。他の誰もがただのハンドヘルドコンピュータを作ろうとしていた頃、自分たちはコミュニケータを作っていたんだ。 Bob: この計算からコミュニケーションへの変化は大きいね。 Andy: あなたの電話がコンピュータになりますよ、というかもうとっくにそうなってるかもしれませんが、というわけだ。 Bob: あなたの考えるヒーローとは誰? Andy: Bob Dylanは真っ先に挙げないといけないな。大のファンなんだ。あとSteve WozniakとSteve Jobsも。彼らはAlan Kayと同格のヒーローと言ってもいいね。文学系のヒーローもいるけど。 Bob: それは誰? Andy: 最近の作家ではThomas Pynchon(トマス・ピンチョン)、Don DeLillo(ドン・デリーロ)、Ian McEwan(イアン・マキューアン)が大好きだ。Neil Stephenson(ニール スティーヴンスン)は彼の三部作を読み終えたところ。最後の一冊は850ページあったけど、一週間で読み終えたよ Bob: 今夜一番夕食を一緒に食べたい人は誰? Andy: 僕の女房かな。夕食を食べるとすれば。何年も前に、Steve JobsはBob Dylanと会わせてくれると約束してくれたんだ。彼自身はやがて実際にBob Dylanと会ったんだけど、僕を呼んでくれなかった。そのことを考えると、「会って何を話すんだ?」って感じだった。Dylanが出した自伝の最初の本はものすごくて、それを読むと、いや、彼の時間を無駄にしたくないな、と思っちゃうわけ。彼に何かユニークなものを与えられるかというとそんなものは何も持っていないし、だったら邪魔しないでおこうと思ってしまう。だから、自分と夕食を食べたいと思ってくれる人と夕食を食べたい、という感じかな。 Bob: Linus Torvaldsとは知り合い? Andy: いや、実は一度も会ったことがない。ただ何度かニアミスしたことはある。僕が聞いた話からすると、彼はすごい人だと思うよ。 Bob: 彼の奥さんがフィンランドの女性空手選手権で6回優勝したっていうのは知ってる? Andy: うん。 Bob: 僕らは面白い時代に生きてるね。 Andy: いつだって面白い時代だよ。 Bob: そうだね。ただ今はテクノロジーと社会がグローバルな規模で相互作用を起こしている時代だ。僕がPBSでやってる仕事は、世界中に視聴者がいて、よく送られてくる一番面白いコメントはオーストラリアからだったりする。で、実は僕らは波に少し乗り遅れているんじゃないか、という気がしている -- 自分が何をしているのかさえ分かっていないんだ。そういう気分になったことはある? Andy: 自分たちの仕事の影響という意味でいえば、本当にそれがわかることは決してないだろうね。自分の成果を人々がどう使うかは絶対に分からないし、分かってはいけないんだ。だって驚くのは楽しいからね。Macについてよく言っていたんだけど、あれの一番いいところは他の人たちの創造性がそこにつぎこまれるところだ。そして本当にそうなっていた。それを使ってできることを自分が全部把握しているとしたら、それは窮屈な話だよね。で、人類の未来とかもろもろの話については、僕にはわからない。 Bob: あなたの机に新しいiMacが置いてあるね。オリジナルのMacをやっていたとき、それがどういうものか、それがどこへ行くのかというビジョンはあった? これはそのビジョンと一致してる? Andy: うん。一つにはこれはAppleで、このブツを見てみると、Steve Jobsの価値観が本当に表面からにじみ出ている。これは自分たちがやってきたことと関連があると断言できるよ。でももし自分たちがそうしていなかった、たとえばSteveがAppleに戻ってこなくて、つまんない箱を作り続けていたとしよう。これに関わった人のほとんどがAppleからいなくなってしまっても、長い間ずっと僕らの当初の意図や価値観がこの機械に根付いていた。それは本当に驚きだ。もう何年も何年も経っている。僕らより先にいなくなったJef Raskinでさえ、彼の貢献は普通の人が想像するよりもはるかに長く残り続けたんだ。形成の段階というのが重要だったということなんだろうね。 Bob: それはテクノロジーのベクトルとも言えると思う。初期の仕事はその方向を決めるにあたって大きな影響があるよ。 Andy: Macには志がある。SculleyやGil Amelioが社長だったときでも、オリジナルのMacintoshの志は当時の機械に、たとえばマイクロソフトの機械に比べると、はっきりと盛り込まれていたよ。 Bob: さて1984年に話を戻すけど、今ここにある機械を見て、これは一貫した進化の過程にあるということだけど、1984年の時点でこの機械にたどり着くまでどれくらい時間がかかると思っていた? 僕らは遅れてる、それとも進んでいる? Andy: 一部では遅れているし、一部では進んでいる。ハードウェアは僕の予想を超えたね。100万命令も出せない時代に、秒間10億命令というのがどういうものかなんて想像できない。ハードウェアはとんでもなく進化したけど、ソフトウェアは期待はずれだね。Macで僕らが広めようとしたパラダイムが10年も持つとは想像もしていなかったし、まして20年なんてなおさらだ。でも今あるのは基本的に、僕らがもっとずっとうまくやれるのにと思っていた、昔ながらの代物だ。僕の計算から漏れていたのは、独占による停滞だろうね。それが大きな部分だと思う。マイクロソフトがチョークをかましていたから、長年にわたって革新的なアイディアがうまく実行にうつることはなかった。 Bob: あなたはオープンソースを通じて解決した状況について説明していたけど、オープンソースはいろんな意味で農地改革に等しいよね。農民とか、百姓が舞台に上がるんだけど、往々にしてうまくいかない。変化を導く環境を確立することはできるけど、でも大体の場合、その上でなんか図体のデカい奴がやってきて年寄りを殴り倒すというシナリオが展開される。それはまさにBill Gatesが恐れていることだよ -- 自分が知らない敵、今までに見たことのない敵、明日設立される企業。 Andy: 例えばAppleがマイクロソフトの今いる立場にとって代わることができたとしよう。彼らはマイクロソフトよりもましなことをするかもしれないけど、それでも僕らは目標に到達できていないことになる。徴税吏が変わっただけ。王様が一人死んで、次の王様がバンザイの声と共に登場、と。僕は君主制よりも民主制に変わって欲しいんだ。民主制では誰もが王様だからね。世の中がそういう方向に向かうのを見てみたい。 Bob: 僕はサウスカロライナのチャールストンの王だよ。 Andy: それはめでたい。 Andy: もう一つオープンソースとMacintoshに関するエピソードがあるんだけど。2004年の1月、Computer History MuseumでMacintoshのマーケティングに関する小さなプレゼンテーションがあった。ステージには最初のMacintoshのマーケティングチームが全員上がっててね。Macチームの残りの多くの面々が観客席にいた。最後の質疑があって、年を取った人が立ち上がって言ったんだ。彼はMacPaintがこの世で書かれた最高のプログラムだと思う、ソースコードを見せてもらうことはできないか、と聞いてきた。この質問をしたのはDon Knuthだとわかった。彼も僕のヒーローの一人だね。終わってから彼は僕のところにやってきた。 Bob: Bill Atkinsonはそこにいなかった? Andy: Billは -- 彼がMacPaintを書いたんだけど -- いなかった。Don Knuthはさっきのお願いを繰り返してきて、「なんてこった、Don Knuthが僕に頼み事を! これはできる限りのことをしなきゃだめだろう」と僕は思った。で、家に帰るなりBillに電話をした。「そのへんにMacPaintのソースの写しが転がってるだろうそうに決まってる」彼の答えは「ない」。彼は古いProfileハードディスクにそれを保存していたけど、それは10年前に煙を噴いて壊れてしまっていた。僕は「頼むよBill、どっかのフロッピーに入ってるだろう」と言った。うまいこと彼にねじ込んだら、二日後に電話がかかってきて、フロッピーの入った木箱を見つけたと言ってきた -- 彼はMacPaintのソースを見つけたんだけど、フロッピーの読める機械がなかった。 で、僕は古いMacを仕立てあげた。そのフロッピーは一度も公開されたことのない、古いフォーマットだったことが分かった。それはLisa Monitorのファイルフォーマットで、Lisaの開発のためだけに使われたものだった。それで、僕はソースを取り戻すためのユーティリティを書かないと行けなかった。ファイルのエンコーディングはテキストでさえなかった。当時はバイトがあまりに貴重だったので、ソースコードの先頭の空白をランレングス圧縮していたんだ。ファイルを取り出してみたら、インデントは全部くしゃくしゃ、変なコントロール文字もあちこちに埋まっていてがっかりした。最終的には、昔どうやって格納していたかを思い出して、もう一つユーティリティをperlで書いて、ようやくきれいなMacPaintのソースが手に入った。それをCDに焼いて、Don Knuthに送った。彼はお返しにBillと僕を自分の家に招待してくれた。これはすごい経験だったよ。 Bob: パイプオルガンを置いているよね。 Andy: オルガンと、すごい彫刻があった。タンスいっぱいの学術関係の賞とか。二つの別のオフィスで立ちっぱなしで仕事をする様子も見せてくれた。彼とランチを食べに行って、すばらしい時間を過ごしたよ。彼は感謝してくれて、ソースが手に入ったことをすごく喜んでいた。 僕がfolkloreプロジェクトの作業をしていて、戻ったときに考え始めたんだ。「MacPaintのソースをオンラインで公開すればいいじゃないか」ってね。そのことを友達に聞いてみたんだけどネガティブな反応しか返ってこなかった。20年前のソースでもAppleは君を訴えるぞとか、危ない話だ、誰かが3年前のソースを上げ始めたらどうするんだ、そんなバカなことはやめろとか。でもこれがDon Knuthの役に立つなら、歴史的にも学術的にも、他のたくさんの人の役に立つに違いない。だからとにかくサイトに上げてしまおうとした。Appleがやめろと言ってきたら、とっとと引っ込めるつもりだった。それでも世の中には出て行くからね。でもさすがにちょっと恐くて実行には移さなかった。結局Tim O'Reillyがすばらしい解決策を持ってきてくれた。ソースコードを歴史的工芸品としてComputer History Museumに寄付すればいいと。彼らならAppleから許可を取れるかもしれない。で、僕たちはその手を使った。数ヶ月かかったけど、8月にAppleはComputer History MuseumへのMacPaintのソースコード寄付を認めてくれた。これは彼らのコレクションにとっても初のメジャーなソフトウェア資料だから、彼らもずいぶん手間をかけていて、僕たちのビデオも撮影していた。そのうちにMacPaintのソースコードは彼らのwebサイトで世界の誰でも見られるようになるよ。 Bob: それでAppleは節税できると。 Andy: そうそう。数字にするのは難しいだろうけど。 Bob: 値段はつけられないだろう。 Andy: プライスレスだね。 (笑い) Bob: 時間はどう? もうおしまい? Andy: オッケ。 Bob: いやあ面白かった。 最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 |